高野寛の言葉を、山弦が音にする
高野寛から山弦へ辿る入口は、ライブの出演者一覧よりも前、2000年に発表された一曲の中にありました。
SOYの2ndアルバム『SOY 2』に収められた「Once in a blue moon」。作詞は高野寛、作曲は佐橋佳幸、編曲は山弦です。歌うのはSOYで、高野自身の歌唱曲ではありません。高野が書いた言葉を佐橋が旋律にし、小倉博和と佐橋による山弦が二人の名義で音を整えました。
高野と山弦の関係は、「同じ会場にいた」という一点だけではありません。作詞、作曲、編曲という異なる役割が、一つの作品に並んでいます。
山弦を母体に生まれたSOY
山弦は、小倉博和と佐橋佳幸によるギターデュオです。1991年、二人が桑田佳祐のライブに参加したことをきっかけに結成し、1998年に初アルバム『JOY RIDE』を発表しました。
SOYは、その二人のギターデュオに女性ボーカリストが加わったユニットです。『SOY 2』では高野のほか、鈴木祥子や宮原芽映も作詞に参加しました。「Once in a blue moon」を開くと、高野から佐橋へ、山弦へ、さらに山弦を母体とするSOYへ道が枝分かれします。
同じ年、佐橋佳幸が高野寛をプロデュース
同じ2000年、高野はシングル「Bye Bye Television」を発表しました。プロデュースを担当したのは佐橋佳幸です。
高野と佐橋は以前から近い場所で活動していましたが、二人が後年のインタビューで振り返ったところでは、この作品まで一緒に仕事をする機会はありませんでした。その前後には、三人のギタリストでツアーも回っています。
「Once in a blue moon」では高野が佐橋の曲へ言葉を渡し、「Bye Bye Television」では佐橋が高野の作品をプロデュースする。同じ年に、役割の向きが変わる二つの制作が残りました。
『A-UN』で再びスタジオへ
関係は一度の制作で終わりません。2017年、高野は佐橋佳幸とDr.kyOnのユニットDarjeelingの作品へ歌詞と歌で参加しました。その流れから、今度はDarjeelingが高野のアルバムを作りたいと声をかけます。
2018年に発表された『A-UN』は、Darjeelingがプロデュースし、提供曲のセルフカバーを中心に、一発録りを軸として制作されました。高野と佐橋は、作詞家と作曲家、アーティストとプロデューサーという関係を越え、互いの作品を往復するようになります。
2025年には『A-UN』の参加メンバーがライブに集まり、高野と佐橋は「Bye Bye Television」を再び演奏しました。これは佐橋個人との共演であり、小倉を含む山弦名義の演奏ではありません。個人の仕事とデュオの仕事を分けることで、長い関係の輪郭がはっきりします。
一曲から二人へ、二人から次の道へ
2026年4月27日の「音礼・綴」第1日には、高野寛と山弦がそれぞれ出演しました。この公演について確認できるのは同日出演であり、両者の共同演奏とは断定しません。
けれども、それより26年前の「Once in a blue moon」には、すでに高野寛、佐橋佳幸、山弦の役割が作品単位で記録されています。一曲のクレジットから山弦を開けば、小倉博和と佐橋佳幸という二人のギタリストへ辿れる。そして佐橋との制作を追えば、「Bye Bye Television」から『A-UN』、後年のライブへ進めます。
人のつながりは、同じ場所に立った記録だけでなく、誰が言葉を書き、曲を作り、音を整えたかという役割の積み重ねにも残っています。