YMOのツアーに加わった矢野顕子
矢野顕子は1979年と1980年、YMOの二度のワールドツアーにサポートメンバーとして同行しました。坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣が掲げるYMOの音に、矢野の鍵盤と声が加わった時期です。矢野の公式プロフィールにも、この二度のツアーが記録されています。
坂本龍一は2023年3月28日に亡くなりました。享年71歳。残された作品を辿ると、矢野との関わりも、同じステージに立った演奏家同士として見えてきます。
二人で作った『ごはんができたよ』
1980年、矢野はアルバム『ごはんができたよ』を発表しました。MIDIの作品紹介によると、矢野と坂本の共同プロデュースによる作品です。矢野の公式サイトにも、坂本の参加が記録されています。
同じステージに立つサポートメンバーとバンドメンバーという関係から、矢野の名を掲げたアルバムを一緒に作る共同プロデューサーへ。ツアーと作品の記録には、二人が演奏と制作の両方で関わっていたことが残っています。
自宅のピアノで並んだ二人――『Tokyo Melody』
二人の共演は、映像にも残っています。ドキュメンタリー映画『Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto』に収められた、自宅のグランドピアノでの連弾です。映画.comの予告編紹介は、坂本と矢野が一緒に鍵盤に向かう場面を伝えています。アルバムの制作クレジットとは違う形で、演奏家同士としての二人に出会える記録です。
映画の公式サイトによれば、エリザベス・レナード監督らによる撮影は1984年5月、坂本が『音楽図鑑』の制作を始めた頃に、東京で約1週間にわたって行われました。作品にはスタジオでの録音やインタビューに加え、YMOの散開コンサートなどの映像も収められています。街の音や新しい録音機材に向き合う坂本の姿と、矢野とピアノを弾く場面が、同じ映画の中にあるのです。
大きな会場でバンドの音を支えること。アルバムの制作を共に担うこと。そして、一台のピアノを二人で弾くこと。同じ二人の音楽的な関わりにも、こうした場の違いがあります。『ごはんができたよ』から数年後の映像を併せて辿ると、作品名と担当の一覧だけでは捉えきれない、共演の具体的な場所が見えてきます。
なお、紹介したニュースは2025年の4Kレストア版の予告編公開を伝えたものです。ここで辿っているのは2026年の新しい共演ではなく、1980年代に記録された二人の演奏です。
娘・坂本美雨の歌へ
二人の娘が、歌手の坂本美雨です。美雨自身の公式プロフィールには、父・坂本龍一、母・矢野顕子と記されています。
美雨は1997年1月29日、坂本龍一 featuring Sister M名義の「The Other Side of Love」で歌手デビューしました。本人の作品紹介で発売日と名義を確認でき、坂本龍一の公式ディスコグラフィーには、同曲をプロデュースした記録があります。父娘の関係は、一緒に作った音楽にも刻まれています。
ステージとスタジオの間
YMOの海外公演と『ごはんができたよ』は、ほぼ同じ時期にあります。一方ではグループの音を世界へ運び、もう一方では矢野の歌をアルバムへまとめる。演奏と制作という二つの場が重なっていました。
その後、美雨のデビュー曲では坂本が制作を担い、美雨が歌いました。矢野との共同制作、映画に残る自宅での連弾、娘の歌声を迎えた楽曲。それぞれの作品を聴き直すことで、坂本が人と音楽を作った時間を辿れます。