テレビの冗談が、ニューヨークでの録音になる
ダウンタウンの二人と坂本龍一は、どうして一緒にレコードを作ることになったのでしょうか。出発点は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』でした。
佐々木敦の著書の公開抜粋によれば、坂本が番組の観覧に来たことを松本人志がトークで取り上げ、坂本にプロデュースしてもらって全米デビューしよう、と話を広げたことがきっかけでした。その話が実際のニューヨークでのレコーディングへ進み、1994年にGEISHA GIRLSが誕生します。テレビで交わされた言葉に、音楽家たちが音を付ける。二人が音楽の世界へ踏み出す入口にも、普段の仕事であるトークがありました。
浜田雅功と松本人志のコンビ自体は、1982年結成のダウンタウン。GEISHA GIRLSは、その二人が音楽で用いた名義です。振袖にまわしを合わせた姿も含め、いつもの二人を別の舞台に置く企画でした。
坂本龍一の周りに集まった音楽家たち
制作を担ったのは坂本一人ではありません。音楽ナタリーの紹介は、TOWA TEI、冨家哲、小室哲哉、アート・リンゼイの参加を挙げています。なかでも「Kick & Loud」を手がけたのはTOWA TEI。ダウンタウンの言葉とクラブ・ミュージックが出会うところに、この企画の面白さがあります。
TOWA TEIは後年のインタビューでも、GEISHA GIRLSでは明確に笑いを狙っていたと振り返っています。笑いを作る二人の声を、音楽としてどう聴かせるか。芸人と音楽家がそれぞれの持ち味を持ち寄った仕事として見ると、単なる意外な顔合わせから一歩先へ進めます。
ここに挙げたのはプロジェクト全体の参加者です。全員がすべての曲に参加したという意味ではありません。曲ごとの担当を辿ると、次の「少年」にはさらに別の顔ぶれが見えてきます。
「少年」の詞を書いた売野雅勇
1995年5月19日、シングル「少年」とアルバム『THE GEISHA GIRLS SHOW 炎のおっさんアワー』が発売されました。発売日はシングルの公式商品情報と、アルバム再発盤に記された初発売日で確認できます。
「少年」は売野雅勇の作詞、坂本龍一の作曲・編曲による曲です。ラップの印象が強いGEISHA GIRLSが、ここではフォーク調の歌を聴かせます。
売野は本人インタビューで、ニューヨークにいた坂本から、レコード会社を通じて急に作詞の依頼が届いたと語っています。すでに別の歌詞が用意されていたものの、坂本が売野に書いてほしいと希望したのだそうです。帰国後の録音に間に合わせる短い日程で書かれ、坂本は言葉の一部にも修正を提案しました。
この回想から見えてくるのは、坂本の仕事が曲を書くだけではなかったことです。誰に言葉を託し、どんな表現で歌ってもらうか。その選択も「少年」の制作に含まれていました。
二人の歌を支えたBUZZと佐橋佳幸
「少年」を歌ったのは、浜田と松本だけではありません。フォーライフのBUZZ紹介には、小出博志と東郷昌和からなるBUZZも加わり、四人で歌っていると記されています。表に出るGEISHA GIRLSという名前の後ろで、コーラスを得意とする二人が歌声を支えていました。
ギターには佐橋佳幸も参加しています。佐橋の仕事を辿る取材連載では、「少年」のギターとハーモニーを担当したことが紹介されています。BUZZの参加を記す発売元の説明と合わせると、浜田・松本の声の周りに、歌と演奏の両面から音楽家が集まっていたことがわかります。
坂本のプロデュース、売野の詞、BUZZの歌、佐橋のギターとハーモニー。同じ一曲でも、参加者を辿ることで、ダウンタウンと教授だけの物語には収まらない広がりが見えてきます。
浜田と松本、それぞれの音楽の仕事へ
浜田雅功は、その後も奥田民生が手がけた「春はまだか」や「ラブレター」を歌っています。提供曲からごぶごぶフェスでの共演へ続く道は、奥田民生と浜田雅功の記事で辿れます。
一方、松本人志は、2004年の「チキンライス」では作詞を担当しました。公式商品案内に記される歌唱は浜田雅功と槇原敬之、作曲・編曲は槇原敬之。GEISHA GIRLSでは一緒に歌った二人が、この曲では言葉を書く側と歌う側に分かれています。
同じ二人でも、作品によって関わり方が変わる。「少年」を入口にすると、ダウンタウンの音楽活動だけでなく、その声を受け止めた作家や演奏家の仕事へも聴き進められます。