奥田民生から浜田雅功へ渡った一曲
1997年12月12日、浜田雅功はソロシングル「春はまだか」を発表しました。奥田民生の公式ディスコグラフィーには、作詞・作曲・編曲・プロデュースの四つの担当が記されています。
言葉と旋律を書くだけでなく、音の組み立てや制作全体も奥田が担い、浜田が歌う。ユニコーンやソロで自分の声を届けてきた奥田の仕事を、別の歌い手の声から聴ける一曲です。
「ラブレター」では、三人が役割を分ける
その後も二人の音楽の接点は続きます。2012年11月20日発売の『SWITCH』12月号は浜田雅功の特集号。特別付録のCDには、浜田が歌う「ラブレター」が収められました。
こちらは作詞が高須光聖、作曲が奥田民生、歌が浜田雅功。奥田が四つの役割を担った「春はまだか」とは、曲を作る顔ぶれも分担も異なります。ソニーの当時の告知では、浜田のために書き下ろされた曲であることに加え、同誌にレコーディング当日のレポートも掲載されると案内されていました。
シングルとして店頭に並ぶ歌と、雑誌の特集に添えられた歌。届け方は変わっても、奥田の曲を浜田が歌うという接点は、15年を経てもう一度形になりました。
ごぶごぶフェスで、歌を渡した二人が同じ舞台へ
2024年5月11日、大阪・万博記念公園もみじ川芝生広場。ごぶごぶフェスティバル初日の浜田雅功ステージに、奥田民生が「相方ゲスト」として登場しました。『ごぶごぶラジオ』での浜田の一言から始まったフェスで、二人のフェス初共演が実現します。
当日のレポートによると、浜田はバンドの演奏で「春はまだか」と「ラブレター」を歌唱。音源として残っていた二人の接点が、曲を作った奥田もいる舞台で、あらためて歌になりました。
開催日の5月11日は浜田の61歳の誕生日。奥田は翌12日に59歳を迎えるため、この日の年齢は58歳です。発売時の二人と比べると、長い時間を経た共演であることも見えてきます。
「愛のために」では、浜田がギターを持つ
この共演で目を引くのは、浜田が楽器でも参加したことです。THE FIRST TIMESの当日レポートは、奥田が歌う「愛のために」で、浜田がギターを持ち、コーラスにも加わったと伝えています。二人の共演を辿るうえで、「歌う浜田」に「ギターを弾き、声を重ねる浜田」が加わる場面です。
「春はまだか」と「ラブレター」では、奥田が作った曲を浜田が自分の歌として届ける。そして「愛のために」では、奥田の歌を浜田が演奏とコーラスで支える。一つのステージの中で役割が移り、曲を提供する人と歌う人という関係の、もう一つ先が見えてきます。
歌の主役を務めた浜田が、今度はバンドの音に加わる。その参加の仕方に、この再会の面白さがあります。レポートによれば、本編はその後の「イージュー★ライダー」で締めくくられました。提供曲を一緒に振り返り、奥田自身の歌へもつながっていく流れです。
フェスとの縁はその後も続き、2026年6月7日には奥田が再び出演。MBSの開催報告でも、同日の出演者に奥田、両日のヘッドライナーに浜田の名前が記されています。2024年の初共演と、2026年の出演は分けて辿りたいところです。
浜田の音楽から、もう一つ先へ
浜田が松本人志と組むダウンタウンの側へ進むと、GEISHA GIRLSとして坂本龍一と作った音楽にもつながります。その道筋は「ダウンタウンから坂本龍一へ」でも紹介しています。
「春はまだか」の制作クレジットから「ラブレター」、そしてごぶごぶフェスへ。奥田民生と浜田雅功の関係は、歌を渡す仕事と、その歌を一緒に鳴らす舞台の両方から辿ることができます。