野音での出会いから、1978年のYMOへ
高橋幸宏は、坂本龍一との初対面を日比谷野外音楽堂のコンサートだったと振り返っています。当時、坂本は山下達郎のバックでキーボードを弾いていました。高橋本人が語った出会いには、同じグループになる前の二人の姿が残っています。
1978年、二人は細野晴臣とYellow Magic Orchestraを結成します。それぞれの音楽歴を持つ三人が、YMOという一つの名義で作品を届けるようになりました。公式略歴は、この年を結成とアルバムデビューの年として記録しています。
デビュー盤に並ぶ三人の名前
アルバム『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』は、1978年11月25日に発売されました。坂本、高橋、細野の三人がYMOのメンバーとして参加したデビュー盤です。
日本音楽制作者連盟の作品資料を見ると、「東風」は坂本龍一、「中国女」は高橋幸宏、「マッド・ピエロ」は細野晴臣の作曲です。三曲とも編曲にはYELLOW MAGIC ORCHESTRAの名が記されています。個々の作曲者の名前と、三人のグループ名が、同じアルバムの中に並んでいます。
ここで確認した作曲・編曲のクレジットと、曲ごとの演奏担当は別です。作品ページには、出典で確認できるグループ名義と三人の参加を掲載しています。
散開後も、名義を変えながら
YMOは1983年に「散開」し、1993年に「再生」。2007年にも「RYDEEN 79/07」などの活動を行いました。活動には区切りがあり、結成からずっと同じ形で続いていたわけではありません。YMO公式略歴
細野と高橋はSKETCH SHOWとして、2002年に『audio sponge』を発表しました。SKETCH SHOWの公式プロフィールでは、坂本を加えたHuman Audio Sponge(HAS)、その変名ユニットHASYMO、2008年のYELLOW MAGIC ORCHESTRA名義でのヨーロッパツアーへと続く歩みが紹介されています。別々の活動を重ねた三人が、再び一緒に音を作る道でもありました。
二人の音楽を、さらに辿る
坂本の共同制作をもう少し辿るなら、ダウンタウンとGEISHA GIRLSの記事へ。高橋からは、高野寛との制作と共演、そして高野寛と原田知世が参加したpupaの記事へと進めます。YMOで重なった二人の仕事は、それぞれの場所でも別の音楽家とのつながりを生んでいます。